1995年1月17日、阪神淡路大震災が発生し、一瞬にして神戸の街が崩壊しました。数千名の尊い命が奪われ、日本中が衝撃を受けたあの日から30年。今でも、テレビで見た衝撃的な映像が脳裏に焼き付いています。
当時、私はイタリアのミラノに出張中で、ホテルのテレビニュースでこの大災害を知りました。初めて目にした映像は、炎と煙が立ち込める暗闇、消防車やパトカーが駆け回る様子でした。どこかの国の戦場かと思いました。それが日本の地震の報道だと知った瞬間、胸に不安と動揺が押し寄せたのを今でも覚えています。
一方、この災害に先立つ2ヶ月前、私は33年間連れ添った夫をガンで亡くしました。享年60歳でした。我が身に起こった想定外の喪失を受け入れられず、私は「天地がひっくり返ってしまった!」「人生何が起こるかわからない」などと心の中で叫んでいたのです。そんな心境を誰にも言えずにいた時、国家レベルの大災害が起こり、国中が「大変だ」「大変だ」と騒ぎ出しました。私は「やっと皆も気付いてくれたか!この世は安全でないと!」と妙に冷めた思いだった記憶です。
今にして思えば、自分自身がグリーフの渦中にある時、他者の苦しみを思いやるゆとりがないと、あの頃の自分の複雑な思いが納得できます。
しかしそんな私が、阪神淡路大震災のサバイバーの一人、最愛の娘・はるかさんを亡くされたお母さんのお話を聞いた時、胸が張り裂ける思いでした。4人家族の中で、ただ一人命を落とした娘さんのことを涙ながらに語られました。千人近い聴衆が集まった会場は静まり返り、やがて人々のすすり泣く声が聞こえました。
その後、ご自宅の跡地に偶然咲いたひまわりをきっかけに、「ひまわりの種を広める活動」が始まりました。この活動は、震災の犠牲者と命の尊さを忘れないための象徴となりました。震災のサバイバーの一人ひとりには、それぞれの物語があります。私にとって阪神淡路大震災の記念日が巡るたびに思い出すのは、はるかさんとお母さんのことです。
夫を亡くして自分のグリーフに没頭するあまり、他者の苦しみに心を閉ざしていた私に、他者への思いやりと慈愛に気づかせてくれたことにお二人に感謝しています。
▶️ 詳しくはこちらの書籍で知ることができます:『ひまわり』 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784908087103