11月8日は夫・鈴木昌平の命日、そして今日11月27日は父・稲垣稔の命日です。
昌平が亡くなって29年、父の没後39年が経ちました!そんなに時間が経ったなんて信じられません。夫の死後、「自分一人では生きて行けない」と本気で嘆いた私でしたが、こんなに長く生きたのですね。一生懸命でした。感無量なり。
夫の命日には、これまで教会でのメモリアル、家族や親戚との会食など行いましたが、今年は彼の思い出に浸りながら、ひとりゆっくり過ごすことにしました。墓参りは前日にすませ、当日は、思いつくまま、気の向くまま、箱根を訪れました。散策と日帰り温泉で多忙な日常から自らを解放。
そして今日(27日)は、ただ父のことをあれこれ思い出していました。父の最後の日:私は、重篤の父に付き添っていましたが、病室の花を新しくしたいと思い、病院を抜け出して近くの花屋へ。真っ赤なバラを数本買って、急ぎ病室へ戻りました。父は息たえていました。真っ赤なバラはいみじくも枕花になりました。
それから幼き日々。父に肩車(自宅の庭で)、父の自転車に同乗(鎌倉で)、父と野の花や野草刈りにいそしむ(浅間高原で)。父は、一回だけ小学校の運動会に来てくれました。そして「剛子(よしこ)は学校中で一番足が早い!」と自慢そうだった…勉強のことは何一つ言わなかった人なのに。
たとえ何年経っても大切な人との思い出は、まるで昨日のことのように蘇るのですね。そして長い年月を経た命日には、遺されたものが故人から「よく頑張って生きたね」と褒めてもらう日にしたいものです。