近年、日本の夏はまさに亜熱帯地方のようだと言われていますが、今夏は想像を絶する暑さでした。そんな中、私は、長年住み慣れた家を引き払い、引っ越しを断行しました。大掛かりな断捨離を試み、いやが上にも暑い夏となりました。
やっと少し落ち着いて久々にペンを取ります。昨年に引き続きオンライン参加した日本自殺予防学会のことを少しご紹介したいと思います。(学会サイト:https://sites.google.com/view/jasp47oita/home)今年は大分にてハイブリット開催でした。
学会のテーマは『生きるすべを求めて:生活の場での自殺予防』とあり、大会長・影山隆之氏(大分県立看護科学大学)のお話では「死なないための対策」を考えるのではなく、「生きるための対策を考える」のだということです。
本学会ではゲートキーパーの養成など、水際のセーフティネット作りを進めています。「死なないための対策」です。しかしそれを必要としている人(自殺の危険因子を負った人)がそうしたリソースを利用しなければなんの意味もないと影山氏は指摘しています。
そこで水際まで追い込まれる前に、ストレス対処力を伸ばせるような環境や文化を築くこと、すなわち「生きるための対策」を考えることが重要であると強調しています。
だとすれば、自殺予防を考えるとは「生き方を丸ごと考え直す」という遠大な意味があるように思えます。たとえば、社会通念や文化の教えなど、人を生きづらくしている価値観を見直すなども一策でしょう。
現代社会は独立心や自立心が過大評価され、苦境に陥って助けを必要とする時にさえ「助けて」と言いづらい傾向があります。助けを求めることは弱さ、恥であると思い込んでいる人もいます。(社会が思い込ませてきたとも言えます)
しかし人生で避けられない苦難や災難はありえるし、たとえ気丈な人であっても、過酷なストレスを負い、打ちのめされることはありえます。今日は誰かが不運な経験をし、明日はそれが我が身かもしれない、そう思えば私たち運命共同体、互いに思いやり、いたわり、助け合う社会が必要です。
3日間にわたる学会は充実したプログラムで、刺激を受けた講演がいくつもありましたが、紙面の関係で一つだけ、大会長の講演から学んだことを記します。
影山氏自らが標榜する「生きるための対策」のヒントは、たとえ何が起ころうと、常に「首尾一貫した感覚」*(アーロン・アントノフスキー『健康の謎を解く』2001 )を貫けることであると言います。そうした感覚を可能にする要素として1)把握可能感(人生に苦しみはつきものと納得している)2)処理可能感(何事も対処できると思っている)3)有意味感(何事にも何か意味があると思っている)、などを挙げています。
私なりに「首尾一貫した感覚」を平たい言葉で表現してみました:
1)何かに絶望し希死念慮を抱いている時「人生山あり谷あり、苦あり楽あり、やまない雨はない、いずれ霧は晴れる」と思ったら、生き続けることを選ぶかもしれない。
2)本当に死ぬことだけが解決方法だろうかと、踏みとどまって考え直したら、誰かに助けを求めるのも一策かと気づくかもしれない。
3)誰も信じられなくなった時、誰かの思いやりや慈愛に触れて、この世は捨てたものではないと思い直して、必死で生きる意味を探し始めるかもしれない。
*首尾一貫した感覚(英語):Sense of Coherence